2013/12/05

百合の花に

クラスで1人が転校するという発表をした。うちの子たちも確かにびっくりしていたけれど、その子の姉の方は、学年あげて驚き、本人も友だちも泣いたらしい。教師サイドは前から知っていたけど、担任の先生まで「俺もあいつがいなくなるのは信じられん」と言っていた。

かつて、姉も担任した年がある。年齢以上にしっかりして聡明で、朗らかな彼女が、ずっと一緒に育ってきた友だちに自分がいなくなることを黙っているのは、どれだけ切なかっただろう。苦しかっただろう。引っ越しの事情も、彼女にはきっと辛かっただろう。廊下で会ったりしゃべったりしているときに、友だちと笑う彼女を見ながら、もう来年はいないんだね、と思うとやりきれなかった。今までは話しかけられなかったけど、一応オープンな話になったから、ようやくこれで話ができる。


今まで、そんなふうにみんなと少し違う風景を見ている子を、初任から毎年担任してきた。今や、そんな「普通」にはまらない子の方が多いのかもしれないけれど、それでも「えっ…」という事情を背負った子もたくさんいた。弱い立場に置かれる子どもたちだった。
私にこの子の担任が務まるのか? と毎年思うけれど、それでも毎年、彼ら、彼女らとの生活は山あり谷ちょっとありで過ぎていく。事情故におこるいろんな問題も、結局その都度解決して、なんとか乗り切っていく。できるだけ子どもたちが必要以上に困らないように。そして、今もこの先の人生でも、一緒に過ごしたことがほんの少しでも役に立つように。そう思いながら。


もしかしたら主が、私に彼らを預けられていたのかもしれないなと最近思う。教師になったときはまだキリストを知らなかったけれど、そこでの働きに主の栄光を表されるように、そこに私が遣わされている。そのことを改めて思わされた。
前、Saltさんが教師の仕事を「いばらの中の百合の花」と言われた。世の中にはどんどんいばらがはびこっているような気がする。その中で、一輪でもいいから百合の花として咲かせていてほしい。せめて主のかぐわしさがその百合の花からただようように、用いられたら幸いだ。

何年か前まで、○○の役職に…とか思ってたし、私は採用少なかった世代なので「管理職に」と言われたりもする。でも最近はもうそんなことはどうでもよくなった。主が用いて下さるなら、私はそれでいい。

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