2013/12/22

大声よりも

昨夜のクリスマスのキャンドルサービスに続いて今日の礼拝。

正直、まいってるなぁ自分、というのを昨日も今日も痛感させられた。クリスマス、奏楽をしたりなんだかんだで「奉仕」をこの2年やっている。でも、個人的にこの時期にやるのはなかなかつらい。去年はあまりにしんどくてめまいを起こし、終わった後に床でぐったり寝そべっていた覚えもある。
今年は、ランチのあとで申し訳ないけれど一足先に帰らせてもらった。昨日も家に帰ったら、まずお風呂に入るまで、あとベッドにたどりつくまで、そこらへんで寝てしまっていた。

なんのためにやってるのか、自分が分からない。周りがやってるからやる。
でもなんのため? 伝道? 自分たちがクリスマスを祝うため? 
私のクリスチャン歴が短いから、私が知らないだけ?

でも、やらないと「ほかの人もやってるのに私だけやらないなんて…」という思いが来る。
なんだかこれは絶対、主から来てることとは違うと思うんだけど。私…。
私が霊的にあんまり健康じゃないのかなぁ。

みんなが讃美で恵まれている雰囲気の中で、奏楽の私は正直、あまり喜べなかった。
結局私がやったことは、ただの肉の働きに過ぎないんじゃないのか。
まあ、2年前のクリスマスに初めて教会に来たのが全ての始まりである私には、あんまりえらそうなことは言えないけど。クリスマスのおかげで、今の私があるんだから。

だけどいろんなことを考える最近。
主にある交わり、といいながら、本当にその交わりについて主に伺いをたてているだろうか。
その交わり自体が、主と自分との間に入ってしまっていたら…?
主にある交わりがなかったら、私はとても生きて行かれない。だけど今、私はその交わりを少し考え直した方がいいんじゃないのか、辞めないにしても、と思っている。

疲れのせいか、大きな声を聴くのもしんどい。まだ雑踏のざわめきの方がましかもしれない。
主の小さな声だけに耳を澄ませて過ごしたい。


私たちは毎日クリスマスプレゼントをもらっている、というのが昨日のメッセージテーマだった。
確かに。だから私たちは毎日クリスマスだ。だから毎日感謝するべきなのだ。

そもそも、クリスマスのお祝い自体、いろんな国の元々の文化が融合して出来ているところもあるし(サンタクロースだって聖書と何の関係もない)。今年はその文化を楽しむことにしよう。
ということで、今年はできれば「メサイア」を聴きに行く予定。

2 件のコメント:

  1. ちゃんと「健やかさ」が伝わってきますよ。
    書かれているとおり、主はごく控えめに意外なタイミングで囁かれます。
    「〜べき」からは解放されて、まったり愉しみましょう。
    本当にお疲れさま。いろんなこと、よく頑張ったと思います。
    「しるし」ありがとう。早速、曲づくりに入りましたよ。実に楽しい作業です。

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  2. あんなんでもきっとsaltさんなら歌にしてくださるだろう…と思いまして、送りました。プロフェッショナルの腕に期待してます!
    年の瀬のせいか、静かに祈る時間がほしいなぁと思います。今年は正月から働き続けてきたので、まったりする時間をとります。

    今朝、chapter29の夢を見ました。銀じ郎さんもsignさんもおられました。交わりを楽しんでいる夢でした。ははは。何の話をしてたんでしょう…

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