音楽会終了。なんとか子どもたちは達成感をもって終われたようなのでよかった。私はといえば、拍をとる楽器を忘れていて、本番中に「センセイ!」と同僚がこっそり手渡してくれたり、一応ちゃんとして見えるように着たジャケットが死ぬほど暑かったりして、なかなかつらい1日だった。
ここからまだまだ忙しい日が続く。連峰を縦走登山するときに、ようやく1つ登り終えた、でもまだここからさらに上へとあがっていく。そんな感じ。
職員で「風になりたい」を歌った。
先輩に「これ似合います」とジャンベを渡したり、若手男子たちが喜んでコンガやボンゴを叩いてくれたり、ハチの顔が描いてあるマラカスを自前で持ってこられたり、金づちと空き缶という人もいたり。それなりに「楽しんでるで」感が出た。子どもには大ウケ。
私は結局、指揮しながら、要所でサンバホイッスルを吹いた。面白いところを全部さらっていってごめんなさい。なんかゆるい感じに、いい風が吹いていた気がする。テンポもあまり速くしなかったので、ボサノヴァっぽい感じ(Saltさんが聴いたら怒られるかもしれんけど。笑)
はしっこで、先輩がマラカスを鳴らしておられた。前に一緒に組んだとき、子どもたちと合奏で「風になりたい」をした人だった。あれから4年が過ぎた。
先輩は、その間に3年間、外部に出向されていた。出向と聞いたときも、一度はうちの職場を離れる形になったので、もう一緒に働くことはないんだと覚悟した。尊敬していて、一番歳の近い人でもあったので、先輩がいなくなったことは、私には大きな衝撃だった。そこからの3年間は、自分の立場も大きく変わることになり、本当に激動の3年間だった。
その3年が過ぎて、また彼は戻ってきて、今こうして、一緒に「風になりたい」を歌っている。
指揮をしながら、あ、これもご計画のうちだったのか、と示されたような気がした。なんのためだったのか、私は知らない。
「主があたえ、主がとられたのです。主の御名はほむべきかな。」
というみことばを思い出した。調べてみたら、ヨブ記の言葉だった。人の生死のレベルとはまた違うことだけど、出会いを与えて下さる主は、また同じように、私たちに人との別れをも与えられる。こうして思いがけないような形で、再会をも与えて下さる。指揮をしながら、笛を吹きながら、そんなことを思って、一人で恵まれていた。
音楽会、お疲れさまでした。私の市は来月です。地域によって雰囲気もずいぶん違うでしょうね。何だか楽しそうですが、奈良はあんまり「楽しい感じ」は無いですね。発表会風で私なんぞは「何だかなあ〜」という感じです。
返信削除私もあまり発表会的な発表にはしたくないと思っているほうです。音楽教育の充実云々ということなら、とりあえず、教師が音楽を楽しむ姿も子どもに見せたいと思っています。ゆるいので、私の前に音楽主任だった方には怒られそうです(笑)基本的に担任が音楽を担当するので、音楽のことはあんまり知らんぞーという方の感覚を大事にすべきだと思っています。それが、一番子どもに近いような気がします。
返信削除「音楽のことはあんまり知らんぞーという方の感覚を大事にすべき」
返信削除これ、大事だと思います。わかっていると思いこんで価値観を押し付ける人は、
どんな世界でも一番面倒くさくて、うっとおしいよね。
そうですね。自分も、何事においてもついついそうなりやすいので、気をつけたいところです。
返信削除