新聞に大学時代の教授の訃報が載っていた。別に直接教わったわけでもないけど、オープンキャンパスの時に聴いた話が面白かったし、とてもダンディな方だったので、「あの先生いいねー」と遠巻きに眺めていた方だった。
附属養護学校の校長もされた方で、学食で働いてた障がいのある職員さんにいつも気さくに声をかけてらした。あるとき大学行きのバスに乗っていたら、その職員さんがバスの運賃の支払いでもめたらしく、運転手さんにすごい勢いで怒鳴られていた。そのとき偶然乗り合わせていた先生が、「やあ、ごめんなさいね。彼の分も僕が払いますから。さあ、降りよう」と運転手さんに謝り、職員さんの肩を抱いてバスを降りていった。人間として、なんてかっこいい方なんだろうと思った。ご冥福をお祈りします。
何回も人が、それも身近な人が死ぬのを見てきたけど、その人が「いなくなる」という感覚には、やっぱり慣れない。急な別ればかりだったから、そう思うのかもしれないけど、その人が生き生きと動いていた姿だけが頭にある。きっと本人だって、それが最後だなんて思っておられないだろう。
もう6年前に亡くなった初任のときの教頭先生。最後にお会いしたのは、亡くなる1年前で、宴会の席でべろべろに酔っぱらって、「スミレにはなぁ、なんにも指導できんで、悪かったと思ってるんや!」と叫んでおられた。お葬式の時、あれが最後になるなんてなぁ、と思った。
今日1日、なんとなく頭をよぎったのはフォーレのレクイエム。たくさん作られたレクイエムの中でも、私はフォーレのが一番好き。2回、冬の本番で演奏した(そのうち1回は、レクイエムを演奏した後に、マーラーの交響曲第2番『復活』を演奏した。亡くなった後に復活するというすごい演目)。基本的にすごく研ぎ澄まされた曲で作られている。
寒くなって、そういう曲がぴったりな季節にもなってきた。暖まりたい気持ちもあるし、ぴりっと冷たい空気を感じたくもなる。暖かい場所があるから、それが心地よく思えるんだけど。
先日の教会のメッセージでね、「人が死ぬのが受け入れられないのは、元々、人が死ぬってことが不自然なことだからなんですよ。神は人が死ぬのを喜ばれない、永遠に生きることを望んでるって言ってました。ふーん、成る程って思いました。聖書箇所忘れたけど、御心は、全ての人が永遠にいきることなんですね。寂しいですよね。親しい人の訃報は。
返信削除もしかしたら、「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。(ヨハネ 6: 40)」でしょうか。いろんな意味で切ないところです。今は冠婚葬祭も婚が多い年頃ですが、葬が多くなるとつらいよ、と先輩に言われます。
返信削除すみません、ちゃんと箇所をチェックしてコメントすれば良かったですね。メッセージで読まれた聖書箇所は、「わたしは、だれが死ぬのも喜ばれないからだ。神である主の御告げ。だから、悔い改めて生きよ。」(エゼキエル18:32)ですが、私は、加えて、「ある人々がおそいと思っているように、主は約束の実行をおそくしておられるのではない。ただ、ひとりも滅びることがなく、すべての者が悔改めに至ることを望み、あなたがたに対してながく忍耐しておられるのである。 」(第二ペテロ)も思い出してました。
返信削除ありがとうございます。まだまだみことばの蓄えが少ないので…読んでいきたいです。こうしていろんな場所で交わることを通して、みことばを語って頂けることも感謝です。
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