旧約聖書は終わりに近づけば近づくほど、主の怒り、悲しみを強く感じる。何のために主がひとり子を地上にお遣わしになったのか、最後まで読んで、ようやく分かったように感じる。
分かっているつもり…のことだけど、こうやって何回も何回もつきつけられて、そのたびに新しく示されて、そして今までとはまた違うことが示されるんだろう。
教会に足が向かなくなって、結構経つ。兄弟姉妹のみなさんはそれぞれにとても良い人たちだけど、今は本当に、足が向かない。「悪いなぁ」と思うけど、それはあくまでその人たちに、なので、そう思う自分の気持ちは、主との関係とは別のところにある。
私には決して分からないことだけど、みなさんは、主がともにおられることや、そうやって日常の生活を生きていくことを、ハッピーだと感じてるんだろうか。人生はそう楽ではないし、しんどいことだらけだ。だけど、それでも主にあることが幸せだ、と思っておられるんだろうか。
「主が痛んでおられる」「主が悲しんでおられる」という言葉や涙される場面に何度も出会った。
そういうことを示される時だって、確かにある。だけど。
じゃあ、主はあなたの生活に、なんの喜びももたらしておられないのですか?
奇跡的なことが起こらなくたって、主はあなたの生活に、働いておられるのではないのですか?
主がここに今もこの先もおられて働かれているということを、リアルに感じられてるんだろうか。
そんな証を聴くことがほとんどなくて、逆にその「主が今もこの先も、わたしとともにおられる」というリアル感が、私は教会では感じられなかった。
本当は、いろんな兄弟姉妹と出会って交わりたい。どこかのカフェ、いやマクドとかでもいいから。別に奇跡的なことなんかなくたっていいじゃないか。ただ主がおられることの喜びを感じて、それを分かち合えたら。
といっても、小さい教会以外の世界を知らなかったので、なかなかオフラインではそういう人に出会わないのが残念。でも、そういうことがあればいいな、と思う。主の働きに期待するのみ。
教会に対しての色々な思いは私もあるので、今度じっくり、分かち合えたらと思ってます。
返信削除教会について、それ以上にイエス様のこと、一緒に語り合い、喜びを分かち合いたいです。
送信できますように。
お返事遅くなりました。ごめんなさい。
返信削除このコメントが受理されたのも主のはからいかもしれませんね。(もっとちゃんとしてくれるといいんですけどね、Blogger…)
世の中におられるたくさんの兄弟姉妹とのつながりを欲するようになったのは、教会に行かなくなってからです。
でもそう思うこと自体が、主の望んでおられることではないかと思うんです。
夏の房総半島でお会いできるのを楽しみにしています。