いきなりインフルエンザが謎の流行。職員ものどをやられている人が多くて、私もご多分にもれず、のどが急にがらがらになってきた。がらがらの声で電話をかけ、がらがらの声で爆笑しているのでますます悪化。咳もひどい。
そんなわけで、昨日はChapter29に午後からどうにかこうにか行けた。病院でインフルエンザの検査もした後(陰性)だったので、途中で体調が悪くなったらどうしようか、とドキドキした。だるくないので大丈夫だろう、と思って行ったけど、自分の熱も上がらなかったし、結局守られて1日終わった。よかった。参加された皆さん、大丈夫なはずです!!
午後のプログラムを待つ間、ひとりだったので、なんとなく聖書を読んでいたら、ここに出会った。
「私が良心というのは、あなたの良心ではなく、ほかの人の良心です。私の自由が、他の人の良心によってさばかれるわけがあるでしょうか。
もし、私が神に感謝を捧げて食べるなら、私が感謝する物のために、そしられるわけがあるでしょうか。
こういうわけで、あなたがたは、食べるにも、飲むにも、何をするにも、ただ神の栄光を現すためにしなさい。」(第1コリント10:29-31)
何を選んでも、神様にあることなら、間違いがない。
そう思っていたところへ、交わりでの言葉があり、信仰放談があり、あ、やっぱりそうなんや、とほっとした。間違いがない、というか、何か必ず実りのあるものを頂けるという確信みたいなものがある。
そして、「立派にしたい、ほめられたい」という気持ちを持って選んでいくと、大体成功しないというのも事実。何をするにしても、自分の栄光のため、ほかの人の良心によってさばかれるため、という動機でうまくいくわけないなー、と聖書を読みながら改めて思った。
「どう行動するか」という選択もできるけど、「なにもしない」という選択もあるということを最近ようやく分かるようになった。なにもしないことが一番よかったりするときもある。
昨日は流木を選んで木工作品を作ったけど、うーん、流木に何もしない方がよかったなー、と後悔した。それでも、できあがった作品にはなんとなく愛着がわく。いいんだ、これで。
誕生日という節目があって、いろんなことを考える。自分の人生は選択の連続。でも、全ては主が私のために選んで下さり、与えて下さったものなのだ。本当に、ぱっと見最悪と思われるものでもすばらしいあがないを用意しておいて下さる。ハレルヤ。
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