昨日今日ととても暖かい。晴れるという予報だったけど、すっかりかすんでしまって、天気がいいのか悪いのか。かすんでいるのは花粉? それともPM2.5?
病院の帰りに、同じ教会の姉妹に出会った。「最近どうしてるの」「教会来ないからみんな心配してるよ」と声をかけられた。うう。やっぱりそうきたか。いや、普通そう声かけるよなあ…。
「霊的に健康じゃないんじゃないかってみんな心配してるよ」
ねばならない、にとらわれるのが今はしんどいのだ、と言って話は終わった。礼拝に「行かねばならない」。のほかに、「ねばならない」が山のようにある。礼拝に行っても鬱々とした気持ちになり、行かないなら行かないで、まだなんとなく圧力めいたものも感じる。でもその圧力は、主からのものではないんだと思っている。何かがねばねば体にまとわりつくような感覚だ。
そのうちまた集う日も来るのかもしれないけれど、群れを離れている今の方が、聖書をずっと読もうとしている。ねばならない、から解放されるときに、本当に大切で必要なものがやってくるんだろう。
卒業生の歌の伴奏に穴が空くかもしれない、と言われて、今日から急遽6年生の歌の伴奏をさらい始めた。空くかもしれないだけなので必要なくなることもあるけど、備えは必要だ。「備えなければならない」と言われなくても、私は自然とピアノ譜を捜してさらい始める。へたくそなりに、集中力も与えられる。必要が満たされるのだ。
デボーションせよ、と言われれば言われるほどできなくなる。練習せよと言われるほどめんどくさくなる。自分の中に「やろう」という働きかけがあったときに、動き始める。そして必要が満たされる。 ねばならない、にとらわれて鬱々としていると、その働きかけにも気づかないような気がして、最近ちょっと怖い。
今日は母の命日だった。だからといって特に何をするわけでもない。昼休みにテラスから、職場のそばの山をぼーっと見ていた。母が亡くなるときに、その山のすその道を通って病院に連れて行かれたのだ。あのときの現実感のなさが、なんとなく冬から春に変わるときのふわふわした感じと毎年重なる。少しずつ春は近づいている。
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