2014/02/18

重大な事実


幸運じゃないときにも、うまくいっていないときにも、神は共におられる。それが神の計画。

という信仰放談のくだりを横で聴きながら、なんとなく、あのチャペル式の「健やかなるときも病めるときも、これを愛し、これを敬い…」という結婚の誓いの言葉が頭に浮かんだ。
会衆とキリストは花嫁と花婿の関係。そうか、本当に地上の結婚って、天でのキリストとの関係の「影」なんや、と実感し、ぴかーんと心が明るくなった。


この先の未来のことを考えると、最近はあんまり明るい気持ちになれないことが多い。遠い距離を会いに行くことに疲れ、先が見えずに閉塞している今に疲れ、仕事に疲れ、うつうつとしてしまう。どんなに相手を想っていても、「この先」はもうないんじゃないかとも思ってしまう。それを人に対して口に出すのもはばかられ、なお一層自分が閉じてしまう。
だけど、そこにも主が働いていて下さるのだ。共におられるのだ。

私はこの先どこに行くのだろう。どこで暮らすのだろう。どこで暮らすことになっても、今の生活の中で大事なものごとを、いくつか手放さなくてはいけない。どこに行っても悩みはつきないだろう。
だけど、どこにいても主は私のうちにおられるのだ。
友人知人がいなくなっても、見知らぬ土地に来ても、たとえ地の果てまで行ってしまうことになっても、主だけは私から離れていかれないのだ。
当たり前のようだけど、これはすごく重大な事実。

Chapter29でその事実を示されたときに、なんともいえずほっとする思いがあった。「嫁ぐ」という感覚が、不平等な気がしてどうもすっきり納得できない。だけど主が示されるところなら、どこでも行ってみよう、という気がしている。主は私の内におられる。主を味わいながら生きていく。

主はそれぞれに語って下さる。私のようなものにも。私は立派なことはいえないし、まだまだ知識もない。だけど十分すぎるぐらい恵まれている。片道3時間はなかなかしんどかったけど、私の苦しみにこたえを示して下さったことに、本当に感謝。

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