2014/01/18

これは

阪神大震災から19年。直接被災したわけではないけど、同じ関西に住んでいる私には、1.17はとうてい忘れることのできない日だ。あの日、私の住む場所も震度5(当時)の揺れが襲った。6年生の冬だった。学級閉鎖になり、家でひたすら震災のニュースと安否情報を見続けていた。自分と同じ6年生ぐらいの子の死亡が伝わると、会ったこともない子なのに、「なんでやろう」とぼんやり思っていた。

高校の部活の顧問の先生は、あの震災の時に西宮市内の学校に勤めておられた方だった。震災後に自治体を変わられてこっちに移ってこられた。出会った頃はまだ震災から5年も経たないときで、先生はまだまだ震災の深い悲しみの中にあった。壊滅的な被害のあった地区に勤めていた先生は、教え子を亡くし、勤めていた学校は避難所になった。大勢の人の死に直面した。同じ仕事に就いた今はなおさら、それがどんなに辛くて恐ろしいことか、想像しようとしてもしきれない。
先生と一緒に2回、震災の復興チャリティーコンサートを開いたときに、いろいろなことを教えてもらった。普段はものすごく怖くて、まともに話ができたことの方が少ないけど、『先生』を通して知ったことは、とても多かった。


これは いつかあったこと
これは いつかあること
だから よく記憶すること
だから 繰り返し記憶すること
このさき わたしたちが生きのびるために
 
 
    (安水俊和  『これは』)

震災のモニュメントに刻まれているという詩を、演奏の前にコンサートで群読した。1300人収容のホールでマイクなし、ひとりで言葉を発しなければならない。本当に言おうと思わなければ、言葉の重みが伝わらない。演奏よりも必死になった思い出がある。だから、今でもこの詩はそらんじることができる。


この仕事に就くときに、先生と一緒に震災のことを考えたものとして、震災のことを毎年きちんとこの日に語ろうと思った。9回目の1.17が過ぎた。どたばたしていたけど、今日もなんとか、子どもたちにその話をした。なんか先生が真剣に話してるぞという顔で子どもはこっちを見ていた。

「いつかあったこと」は、結局16年後に東日本を襲った。誰にとっても無関係なことではないのだ。ぼやーんとしてる目の前の子どもたちは、もうすぐ3年前になろうとしている東日本大震災すら、はっきりと覚えていない。どこかでたくさん人が死んだんだ、ぐらいのとらえ方しかしていない。何もしなければ、大きくなったとき、危機感やかつて起こったことを忘れてしまいそうだ。
だから、よく記憶すること。だから、繰り返し記憶すること。自己満足だと言われようが、毎年毎年、話をし続けなければならないと思う。この先私たちが生き延びるためには、忘れてはならないことなのだ。たとえ直接経験していなくても。…あれ、これって震災のことだけかしら。



死ぬほど怖かった高校の先生は、教職に就いてから「震災の話を子どもにしています」と言ったら、ものすごく喜んで下さった。音楽面で褒められたり温かい言葉をかけてもらったりしたことがゼロに近かったから、びっくりしたなあ。ここ何年も先生にお会いしていないけど、お元気だろうか。

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