2013/09/24

驚くばかりの…

たまたま仕事で、音楽を聴くという機会があった(連日音楽に追われているけど)。その中に、今回は「Amazing Grace」があった。メゾソプラノのAmazing Grace。

学生時代、ゼミの先生が私につけた名前が「Grace」だった。自分の名前が嫌いだった私が、何か違う呼び名にして下さい、と頼んだ結果、なぜか横文字の名前になってしまったのだ。後にも先にも、こんな変わったあだ名をつけられた学生は私ひとりらしいが、今でも先生には「グレース」と呼ばれているし、私もなんとなく、「Grace」とメールの最後に名前を書いている。
なんでグレースなんですか、キャサリンでもエリザベスでもよかったじゃないですか、と言ったけど、みんなに「いや、あなたはグレースという名前がぴったりだから」と言われた。今思えば、これも誰かのはからいなのかもしれない。

Amazing Graceという映画を観たことが、私が教会に足を踏み入れる一歩にもなった。今でも「驚くばかりの」はとても好きな歌。疲れた夜に、こっそり忍び込んでピアノで弾いている。


そんなわけで、今日はすごく思い入れのある歌を目の前で聴いたのだけど、驚くばかりの、心への響かなさがそこにあった。本当に、心に響いてこなかった。それは、その人の自分の思いを抑えたような歌い方とか、技術的なものとか、そんなこととは全然違うところにあった。

いったいこの人は、何のために歌っているのだろう?
仕事? 何かを思って? なんとなく? プログラムに入れられたから? なんで?
それが全然分からなかったのだ。確かにプロだから歌は、技術としてとても上手だ。でもそこに心はあるのかい?と聴きたくなるような歌だった。

伴奏のピアノは、後でソロで「エリーゼのために」を弾いていた。だけどそれも、なんだか技巧を見せますよーという感じの弾き方だった。さらっと弾いてしまって、何の余韻もない。しかも、ちっとも楽しそうに見えない。ある意味、すごい。あんなプロは初めて見た。
「なんかあのピアノ、あんまり上手じゃなかったよなぁ」
と後で先輩に言われて、うんうんとうなずいた。技術じゃない。何のために弾いているのだろう。あの曲は好きなんだろうか。聴いて欲しいんだろうか。全然分からない。
あれなら、たどたどしくても小学生が弾いている方が、ずっとずっと素敵な気がする。


なんのために歌ったり弾いたりするんだろう。なんのために音楽があるんだろう。
仕事でも、勉強でも、趣味でも、自分の慰めのためでもいい。とにかく、真摯にむきあわないと、音楽ってだめなんじゃないだろうか。いや、音楽だけじゃないかもしれないけど。

1週おきに、日曜日の伴奏を引き受けるようになって1年が経つ。捧げるつもりで、いつも弾いている。へたくそかもしれないけれど、ただひたすら、ひとりの方のよろこびだけを思って弾く。さらりとうまくて心がないものよりも、そっちの方が尊ばれる気がしている。そして、Amazing Grace(驚くばかりの恵み)が自分の中に来るような気がする。

2 件のコメント:

  1. いい記事ですね。音楽ができることと讃美することは、基本的に関係ないどころか、時として、敵対関係にある場合さえあります。信仰において最も大切なのは動機。讃美は表現の質というよりは、心のあり方です。きわめて霊的なものだと思います。

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  2. 確かに、豊かに讃美ができる!と思う瞬間がしばしばあります。そして、「豊かに讃美する」ってどういうことなんかなーと思ったりします。1年経ちましたが、そこに表現の質はあまり関係ないというのは、私もたしかに実感しています。できなくて非力なものを用いて下さることに感謝です。

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