だいじょうぶ だいじょうぶ
授業をぼちぼちはじめないと、子どもも今一つ「5年になった」感がないらしい。国語の教科書の内容に入った。一番最初の教材はこれ。おじいちゃんの「だいじょうぶ、だいじょうぶ」という励ましのことばとともに大きくなってきた男の子の心情を書いたもの。
もともとは小さい子むけの絵本のはずだけど、ひとつながりに文として読んだら、本当は5年生や6年生の子どもを想定して書いたんじゃないかと思う文になっていた。子どもも「知ってる」「むかし絵本で読んだ」と言っていたけど、こちらが範読したときには、しんとして聴いていた。いや、範読しながら私が泣きそうになっていた。
子どもたちの感想も面白かった。小さい頃怖くて、だけど成長とともに怖くなくなっていくもの。「だいじょうぶだいじょうぶ」「こわくないよ」と家族が励ましてくれたこと。そういうことを思い出し、物語の主人公と自分とを結び付けて読んでいる子が結構いた。
そして、「誰かにだいじょうぶ、だいじょうぶって言ってほしい」という子もまた、たくさんいた。親、教師、とはっきり書いてないところが5年生…
子どもたちから、「先生、今年はクラスのマスコットキャラクターておらんの?」「ほんまや、いてほしいなー」という声が上がった。
彼らを1年で担任した元同僚が、子どもや教師としての自分を見つめる第三者的なものとして教室にぬいぐるみのカエルを置いていた。そのカエルの一言が毎日学級通信に載っていたっけ。それこそ、教師でも親でもない誰かからも、「大丈夫」と言われたいんだろう。
おっしゃ作ろう、というのは簡単なことだけど、ちょっと保留な、と返事した。
低学年と高学年とでは意味が違うけど、何度もそういうものたちを作って1年間学級経営してきた。その実践が雑誌に載ってしまったこともあった。ただ、中の人は私なので、私が余裕なくすと、マスコットキャラクターは何も言わなくなる。そうすると、子どもの中からもキャラクターは消えていく。私の子どもへの裏切りだけが残る。むー。難しい。
そう思うと、作ろうとか作らないでおこうとか思わなくても、いつも心の内に住んで、だいじょうぶ、だいじょうぶ、と語りかけてもらえることは、本当に大きな幸いだ。ぎりぎり自転車操業の状態でも毎日が回るのは、そのお方がいてくださるからこそだ。
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」と言われたい子どもたちは、この先、今まで以上に大丈夫じゃないものがたくさん出てくることをもう知っているのだと思う。勉強は難しいし、友達関係は複雑になる。信頼していた大人のいやなところを、これからたくさん思い知る。うまくいかないことが山ほどある。すでに、続けて登校できるなんてすばらしいねという状態の子もいるのだから。
主が、私を通して、この教室、学校を祝福してくださいますように、と祈るばかりだ。しかしマスコットどうしようかな。そうこうしてるうちに明日からまた始まる…
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