毎日10時、11時退勤の1週間が終わった。
楽しいことも色々あったけど、なんせ仕事量が半端ではない。高学年を担任すると、科目数は多くなり、行動面の他、総合的な学習の時間と外国語活動の時間については、学習内容を所見で出さなくてはいけない。覚悟して引き受けたけど、もめ事もあったし、いやー、疲れた。
去年39人の5年生を担任していた先輩が、「いや、大変やな。ただハンコ押すだけでも、ほんまに疲れるよな」と毎日声をかけてくださった。ありがたやー。
金曜日、一仕事終わってテーブルを見ると、おにぎりが1つ置いてあった。先輩の教務の先生が、給食のごはんの残りで握っておいてくださったもの。普段は若手がさっさと食べてしまうのだけど、その時間、もう職員室には誰もいない。ありがたく頂いた。優しい塩味がじーんとしみた。
「あんた、ほんまに変わったなあ。もう、いらん心配せんでええなあ」
というお言葉も、先週その教務の先生に頂いた。特に体のことや仕事ぶりでは、散々心配をかけ、たくさん怒られてきた。
先輩はふたりとも、6,7年と長い時間一緒に働いている方々だ。私がぼろぼろだったときも、だめだめだったときも、彼氏ができたときも、キリストを信じてからも、ずっと一緒に働いていて、私の変化を見てこられた。
私が新しく変えられたのは、私の努力によるものではない。どんなに私や私の周りが必死になっても、良くなったことはほとんどなかった。ただ一つのことによって、すべてが新しくなった。
「ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
これらのことはすべて、神から出ているのです。神は、キリストによって、私たちをご自分と和解させ、また和解の務めを私たちに与えてくださいました。
すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。」(第2コリント 5:16-19)
昨日Saltさんに頂いたみことば。
キリストを知っても知らなくても、同じように10時、11時まで残業は降りかかってくる。ものすごく疲れる。でも、主から出たことだと思えるかどうかはすごく大きいことだ。
とりあえずこの疲れをなんとかして、明日からラストスパート。温泉目指して一直線。
私によらない変化、いいですね。その自覚があれば、いくら賞賛されても妙な誇りにはなりません。嘲笑にも賞賛にも、等しい距離を保っていれば心はいつも穏やかでいられます。
返信削除「距離」、確かにそうですね。嘲笑はまだまだ肉に堪えますが…。誇るものは私自身ではありません。もともとプライドが高くて負けず嫌いな人間なのですが、そのあたりもちょっと変わってきたような気がします。
返信削除負けず嫌いはよくないですよ。負けといたらいいんですよ。本当は圧倒的勝利者なんだから。
返信削除勝利してくださった方に感謝です。負けてるように見えて実は勝ってるってこと、結構あるんやなーと思う今日この頃。そりゃあ当然ですよね。
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