久しぶりにChapterの放談を聴いた。やっとそんな余裕がでてきた。
この夏、来年度からの夫と一緒に暮らす生活に向けて、とある試験を受け、不合格という通知がちょうど先週来たところ。結果を見た瞬間、吹き出してしまった。
私のようなケースで試験を受ける人は多いようだけど、あまりその体験談を聞くことがない。受かって当たり前とたくさんの人に言われてきたけれど、私は全く受かっている気がしていなかった。だから、不合格というのも、私自身は納得できる結果だった。
ただ、申し訳ないな、と思った。応援してくれた人たちに。受験にあたって色々と日程などを調整してもらった職場に。
ふと立ち止まって考えてしまったら、その試験に合格することが本当に私の希望なのかと思った、それがきっと試験を受ける時にも出たんだ。
一般的な話し方としては、そういうことなんだと思う。
合格したかったし、肉の自分にはやっぱりこたえる。だけど、妙にすっきりした気分でもある。
合格させてください、というよりも、最善の結果を待ち望んでいます、と祈ってきた。
不合格ということもあるかもしれないし、それが主の御心なのかもしれない。そうならば、私はその主の御心に従います、と。
主は、最善の結果を常に与えてくださる方だから、きっと最後振り返ればそれでよかった、となるから。そして試験の結果は不合格でも、それが全ての結果ではない。まだ私は途中にいる。
全く違う道に進むためなのか。もう一度やり直せと、主が私に忍耐しておられるのか。はたまた、まったく違う第三の理由があるのか。
「よくないように見えることも、祝福の一部なのです」
今年は本当に大きな転換点ばかりが次々と訪れる。今までだったらくじけていたかもしれないことも、守られ、支えられて通り過ぎてきた。
だからここでも、次に開かれる道を期待して待つ。今はただそれだけだ。
仕事仕事でぎすぎすして、人間としてもちょっとどうよ、という感じになってきて、それをオフにせよ、ということなのかもしれない。
何はともあれ、ちょっと変わった結婚生活もあと半年。だいぶ軌道に乗ってきている。写真撮ったり人と話したり、そろそろそういう時間も過ごしたい。
信仰放談は、だから自分が祈ってきたことや今の現実と、聖書を結び付ける答え合わせのように心に響いた。感謝します。
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